親父は背中で語る シーズン3

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仕事、仕事、仕事一筋でこれといった趣味があるわけでなくただ私達家族の生活のために働いていた男であった。

こう書くと身を粉にして何もかもを犠牲にしてただひたすら家族のために、

という働きバチのような印象を

持たれなくもないだろうが、

親父は本当に仕事そのものが好きだったんだと思う。

仕事こそが生きがいであり、自分の存在意義を見出せ、他者にその働きで利益を還元して。

ワタシが中学年生の頃だったか、東京でタクシー運転手で稼いでくると沖縄から出ていった。

(漁師をやめた理由、などは詳しく聞いてない。)

恐怖の存在が我が家に居なくなったことから思い切り羽を伸ばす事が出来る生活だったが、

上京して1年半後、東京の親父から電話があり、

「たけし、東京に遊びに来るか?」

初の飛行機に乗れる喜びも重なりYES以外に返答の余地はなかった。

今考えれば、

親父・同僚のタクシー運転手・ワタシの男だけでディズニーランドや東京タワー、

石原裕次郎自宅など東京スポットを親父の仕事のタクシーで観光案内されたことはむさくるしい夏の思い出でもあるが、

親父なりの子供に対する愛情だったのだろう。

褒められた記憶はほぼないが、こうやってキチンと振り返ってみると親らしいことはしていたんだな。

月日を重ね、自我が強くなる事と合わさって親父に対する口の利き方もぶっきらぼうになり、親父に対する対応も横柄になってきた。

(喧嘩で勝てる自信は微塵もないがw奥底にある恐怖は消えることなく存在する。

)

それはワタシが沖縄から上京して自分の力でお金を稼ぐようになった社会人の時期と重なる。

東京から京都へと拠点を移した親父はその地でもタクシー運転手として働いた。

かつて、政治の実権を握っていた朝廷が存在する京の都へと

思いを馳せながら新幹線に揺られ

親父の居住する社員寮へ夏休みを利用して

「親父、一緒に酒飲もうぜ」

と打診をかけた事は今から18年前のことだったろうか。

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花城 健

合同会社 代表社員兼 介護タクシーめぐり運転手  1978年 沖縄県・金武町生まれ   旅行をあきらめる障がい者・歩行に不安のある高齢者へ沖縄観光の成功を一緒に考え、現地ならではの情報提供を行い、ゆったり・ゆっくりの小旅行を企画する日本で数少ない駆け込み寺型の福祉・介護タクシードライバーでもある。 良質な情報に触れ・多少の不便を受け入れ・体験したいコトを明確にすれば、障がい者高齢者の旅行は必ず叶えられると確信しています。 THE  YELLOW MONKEYをこよなく愛す。 趣味・三線 読書 一人カラオケ ジムニ―イジり 落語・歌舞伎鑑賞 ウィングスーツ滑空妄想 資格: ヘルパー2級・視覚障害、身体障害者ガイドヘルパー・認知症サポーター・実務者研修(痰吸引・経管栄養)・手話3級・運行管理者(旅客)  実績事業: 障がい者外出の移動支援事業、高齢者通院支援事業を自治体より委託契約 身体障がい者福祉協会・会員の福祉向上送迎事業受託 発達障がい児通学送迎事業受託
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