貴方は寝たきりになっても『生きたい』ですか?高福祉国家スウェーデンの在り方から再考する。

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とは言っても、

寝たきりの状態も様々だ。

不慮の事故で若くして寝たきりになり

他者の介助無くして日常生活もままならないという方もいらっしゃるだろう。

あえて高齢者となった場合と定義しようか。

一般定義の65歳以上、その人生経験をその人なりに味わい尽くしたであろう

高齢者が身体機能の低下や、例えば転倒をきっかけに

みるみるうちに身体が弱り、車いす生活に入り、

食事を自らの口で飲みこむ事が出来なくなる嚥下障害が出てくると

更にそこから、身体機能全般の弱りが急速に進み、

自らの力で体を起こす事も出来ず会話もままならなくなり、

後はベッドでの寝たきり生活を送り続けるという全介助生活が

日本各地の介護施設で起きている現実。

長生きこそその人らしい在り方なのか。本当の『生きる』とは?

お時間はかかるであろうが、高福祉国家と言われるスウェーデンの在り方を是非読んで頂きたい。

Facebookタイムラインで流れてきたその記事を目の当たりにした時、

私は率直に、このスウェーデンの福祉が人間らしい最後を迎えるものになるのでは?

と頷けた。

まずもって、自身が高齢となった場合でも

自立して生きていく

という根本がスゥエーデン人の基本概念にあるため

子供たちに頼るとか、独居が寂しいという考えが日本人ほどないという事。

横のつながりを大事にしてきた農耕民族の我々には

自立という言葉の意味を改めて噛みしめる必要があるのでは。

しかも、介護サービスを受けるにしても

まずは在宅介護サービスを受ける事が先決とされ

施設入所も人生の終末期にしか基本、判定が降りないという

人間本来の人生の歩み方に沿うような

『順序モデル』がしっかりと整備されていること。

福祉財源の確保ルートやそれを作り出す議員の勤務体制・給与のカタチ、

自治体と住民の関係性、死を迎えた後のお墓の在り方など、深く考えさせられるものがあった。

勿論、いい記事だったからと言って、

はい、今すぐにそうしよう!と物事が進むほど現実は甘くないわけです。

海外で取り組まれている事例が日本人の気質や特性・習慣、世間体にすっぽり当てはまるわけはない事も重々承知の上で。

私のお客さまにも会話も成り立たず、

言葉も発する事が出来ず、自宅にいる時はベッド生活、

施設サービス利用時は車いすで移動を行っている方がいらっしゃる。

その方の家族はこうおっしゃっていた。

『どんな形でも長く生きてほしい。一緒にいる時間を大事にしたい。』

その意見を、「今の時代にそぐわないよね」 などと軽々しく否定できるものではない。

その家族がそのあり方を望む以上、自分の力で栄養を摂取する事が出来なくても言語コミュニケーションが図れなくても流動食でも生きてほしいという願い。

しかし。

医療・介護にかかる予算も毎年上がり続け、

需要は高まるも供給の絞り込み、つまり介護保険サービスについても

以前は適用OKとされていた範囲も次回からは適用外になったり、

政府のやる事は現場の意見が反映されない

ふざけんじゃねえよ施策がやたら目に付いたりするわけです。

そんな愚痴も当然あるでしょうが、

先ほどのスゥエーデン国家の福祉施策を読み込んでいくと

やっぱり人間の在り方と言うのは

自分で言葉を発する、

自分で食事を摂る、

自分で排せつをする、

自分で風呂を浴びる、

等の日常生活が自らの力で実行できなくなった時、

寝たきり状態にも関わらず自分が社会で生きていく事で何が出来るのか・出来なければどう在りたいのか

という再考は寝たきりになっていない今のうちに必要ではないか。

先ほどのリンク先の個人的に共感した部分を改めて引用してみる。

スゥエーデンでも1980年代までは無理な延命治療が行われていましたが、徐々に死に対する国民意識が変わってきたのです。長時間の延命治療は本人・家族・社会にとって無駄な負担を強いるのだと気づいたのです。

介護する側もされる側も寝たきりにならないよう努力する。それでもそのような状態に陥ってしまえば、それは死が近づいたサインなんだと潔く諦める。

この引用部分って日本人が声に出したいけれど出せない

タブーの部分じゃないのか。

それって旧来の価値観、つまり、

歩んだ人生時間が長いほど価値がある

両親は子供がきちんと面倒見なければならない

延命治療を止めたいけど、

世間の目が気になる

日本の世間体の空気がそれを許さない

陰でコソコソ批判される

そういう縛りがあって本音を出せない人がほとんどじゃないか?

私はそう思う。

経験上、そう思うのだ。

延命治療を施されている寝たきりの方。

自分で食事が出来ない、流動食を流し込まれている方。

本当は泣いているんじゃないか?

『早くあっちに逝かせてくれ』って。

『こんなお金かけてお前たちに世話掛けてそこまでして生きたくない』って。

でも、

本人の気持ちがくみ取られることはない。

寝たきりでは自己の気持ちを他者に訴える事が難しくなってくる。

訴えたとしてもそれが叶えられることはほとんどない。

何故こんなブログを書いたのか、書きたくなったのか。

それは未来に対する介護社会への有益な提言でもあると判断したし、

このように人生の幕引きを図りたい私自身の遺書でもある。

長く生きれる事が人生の価値とは私は思わない。

命こそ宝とも思わない。

その命で自分は何を成し遂げたいのか。

その命で自分らしく提供できる事は何か。

その命で自分らしく生きるとは何か。

この3点を考えながらいつ終わるかわからない人生を

生きていきたい。

あ。

最後にこのブログが遺書になる可能性もゼロじゃない事を踏まえて(笑)

私の葬られ方はこれね。

コンポスト葬ですよ、コンポスト葬。

これでそこら辺の空き地の土と一緒に混ぜちゃってください。

出来ればのび太とジャイアントとスネ夫が遊んでいる空き地の方がイイかな。

死んだ後でも一輪の花を咲かせる肥料くらいには活躍できるでしょうから。

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花城 健

合同会社 代表社員兼 介護タクシーめぐり運転手  1978年 沖縄県・金武町生まれ   旅行をあきらめる障がい者・歩行に不安のある高齢者へ沖縄観光の成功を一緒に考え、現地ならではの情報提供を行い、ゆったり・ゆっくりの小旅行を企画する日本で数少ない駆け込み寺型の福祉・介護タクシードライバーでもある。 良質な情報に触れ・多少の不便を受け入れ・体験したいコトを明確にすれば、障がい者高齢者の旅行は必ず叶えられると確信しています。 THE  YELLOW MONKEYをこよなく愛す。 趣味・三線 読書 一人カラオケ ジムニ―イジり 落語・歌舞伎鑑賞 ウィングスーツ滑空妄想 資格: ヘルパー2級・視覚障害、身体障害者ガイドヘルパー・認知症サポーター・実務者研修(痰吸引・経管栄養)・手話3級・運行管理者(旅客)  実績事業: 障がい者外出の移動支援事業、高齢者通院支援事業を自治体より委託契約 身体障がい者福祉協会・会員の福祉向上送迎事業受託 発達障がい児通学送迎事業受託
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