昨年の同時期(2017年 7月7日) このような記事を書きあげました。
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訴求をズバッと述べれば、
健常者だけの水納島じゃないよ、障がい者(主に車椅子ユーザー)にも平等に訪れやすい環境を整えてあげては?
と、ほざいたブログです。そして、タイトルに示す通り本部町に訴えた所でその乗降環境の利便性が向上するものでないという私の浅はかな脳みそを世界中に晒した恥ずべきコンテンツとも言えます。
あれから約1年経過。
このブログ執筆段階において、電動車いすを活用なさるお客様とバリアフリー沖縄観光に向けてメール打ち合わせを綿密に行っている最中なのですが。
お客様がクロワッサンアイランドと呼称さる水納島でのマリンアクティビティを是非体験したいと熱望されているのです。
幸いにも、車いすユーザーへのマリンアクティビティを提供する事業者が見つかりました、、、、
いや、何度か断られての…という前置きがありますが(苦笑)
しかし大きな問題があります。
それは、フェリーみんなと水納島港を繋ぐスロープ設備です。
観光立県沖縄が世界に発信するアナログ的スロープ状況
これでは、重量100キロ以上を有する電動車いすの乗降は不可能に近い。
電動車いすの形状は様々ありますが、大体、このような感じになります。
昨年のリサーチを行った経験から、すぐに、お客様ご愛用の電動車いすでは上陸が厳しいだろうというイメージ像が頭の中で描かれました。
その旨をメールでお伝え、スタンダード車いすへ乗り換えてもらわなければ水納島への上陸は厳しい、、と提案しました。何せ、このスロープ形状では、車椅子ユーザーごと担ぎ上げないと上陸できない設計になっているので。
すると以下の返信を頂きました。
私は電動車いすは体の一部です。
電動車いすがないと自由が奪われます。
しかし、やりたいことをやるためには電動車いすから離れても仕方ないと思 います。
石垣島でも離島めぐり(西表島・伊府島)に行った時でも普通の車いすでいきました。
電動車いすがどうしても船に乗れなければ、普通の車いすでも行きたいと思います。
この内容を見て、どう感じたでしょうか。
重要な部分はここです。ここだと私は感じました。
私は電動車いすは体の一部です。
電動車いすがないと自由が奪われます。
握力や上肢の腕力が衰えていてもスティック操作を行えるチカラがあれば電動車いすならではの走破性を活かして介助者に頼らずとも移動が可能になります。ここの、自らの意志と状況判断で移動が行えている 行為そのものが障がい者の自立なのです。
電動車いすを奪われると自立と自由が奪われるに等しいのですよ。
水納島の美しさは健常者だけのものか
電動・手動に限らず、車いすユーザーにとっては、愛用してきた車いすそのものが手足の一部なのです。障がい者が抱える身体の特性や身長体重・骨格を考慮して特別カスタマイズされる車いすもあります。
例えば、首から下の身体機能が失われた障がい者は、顎の辺りまでに飛び出たスティックを操作して、車椅子の移動やリクライニングを行えるよう特別製作された電動車いすを活用されています。
例えば、医療的ケアを要する障がい児なら、日常的に人工呼吸器や経管栄養を使用しなければ生きていく事が出来ません。車椅子もその医療機器を搭載出来るようにカスタマイズされています。因みに、医療的ケアを要する障がい児は身体の発達が健常児に比べて遅れているので、一見ベビーカーのように見える車椅子を活用されている方もいます。その車椅子は俗に【福祉バギー】と呼ばれています。
このように、福祉バギーや電動車いすでなければ日常生活がままならない障がい者は現におられるわけで、そのような方々にも、水納島の美しさを共有できる設備環境は整えるべきではないだろうか。
昨年、水納島で働く島民にスロープ状況について伺った事を思い出した。
10年前から水納島港の老朽化を苦慮して、より利便性ある港を発信すべく事業計画に上がったものの未だ実行に至らずという何ともお粗末なお話を。
今回の電動車いすユーザーの海水浴熱望のきっかけもあって、1年ぶりに水納島を訪れる事にした。もしかすると乗降スロープ環境が整っているやもしれない、そんな淡い期待を抱いて。
そうすると、たまたま車椅子ユーザーと同船する機会に恵まれた。
肝心要な水納島への車椅子アプローチを観察してみた。
潮の満ち引きによってはこれ以上にスロープの傾斜角度が厳しくなり、フェリースタッフ・車椅子ユーザーご家族の心労を更に煽るものとなる。
何時まで人力に頼るのだろうか。
何時までこの手法を貫き続けるのだろうか。
名ばかりのバリアフリー うわべだけのバリアフリー宣言
計画に上がったものの、実施に至らない理由ってなんだろうか。
障がい者にも優しいバリアフリーデザインを描くと宣言しながら本気で動こうとしない根源的な理由は何だろうか。
いずれやりますそのうちやります、、とその場しのぎの言葉を打ち立て、うわべの言葉を喋る事に何のためらいも感じない程に劣化した大人たちの事情って何なんだろうか。
だれか教えてくれぃ。