仕事、仕事、仕事一筋でこれといった趣味があるわけでなくただ私達家族の生活のために働いていた男であった。
こう書くと身を粉にして何もかもを犠牲にしてただひたすら家族のために、
という働きバチのような印象を
持たれなくもないだろうが、
親父は本当に仕事そのものが好きだったんだと思う。
仕事こそが生きがいであり、自分の存在意義を見出せ、他者にその働きで利益を還元して。
ワタシが中学年生の頃だったか、東京でタクシー運転手で稼いでくると沖縄から出ていった。
(漁師をやめた理由、などは詳しく聞いてない。)
恐怖の存在が我が家に居なくなったことから思い切り羽を伸ばす事が出来る生活だったが、
上京して1年半後、東京の親父から電話があり、
「たけし、東京に遊びに来るか?」
初の飛行機に乗れる喜びも重なりYES以外に返答の余地はなかった。
今考えれば、
親父・同僚のタクシー運転手・ワタシの男だけでディズニーランドや東京タワー、
石原裕次郎自宅など東京スポットを親父の仕事のタクシーで観光案内されたことはむさくるしい夏の思い出でもあるが、
親父なりの子供に対する愛情だったのだろう。
褒められた記憶はほぼないが、こうやってキチンと振り返ってみると親らしいことはしていたんだな。
月日を重ね、自我が強くなる事と合わさって親父に対する口の利き方もぶっきらぼうになり、親父に対する対応も横柄になってきた。
(喧嘩で勝てる自信は微塵もないがw奥底にある恐怖は消えることなく存在する。
)
それはワタシが沖縄から上京して自分の力でお金を稼ぐようになった社会人の時期と重なる。
東京から京都へと拠点を移した親父はその地でもタクシー運転手として働いた。
かつて、政治の実権を握っていた朝廷が存在する京の都へと
思いを馳せながら新幹線に揺られ
親父の居住する社員寮へ夏休みを利用して
「親父、一緒に酒飲もうぜ」
と打診をかけた事は今から18年前のことだったろうか。