今年のリオ・オリンピック
日本人の活躍が目覚ましい。
TVを付けるたびにメダル獲得者の放送が
これでもかとなされている様を見ると
ちょっとしつけぇなぁ、と思いながらも
やっぱり嬉しくもあり同じ日本人として誇らしく思う。
錦織圭の銅メダル獲得も96年ぶりらしいが、
個人的にはジョコビッチの初戦敗退の結果を受けて
銀メダル以上はいけるんじゃないか?と期待したのだが(苦笑)
それでも素晴らしい事に変わりはない。
それはそうと。
霊長類最強と勝手に呼ばれた彼女もマットから逃げ出したくなった
彼女とは会った事もない。
(そう簡単に会える人ではない)
なので彼女の人となりを知るには
TV.書籍・ネットなどでの媒体からしか情報は得られないのだ。
全てを鵜呑みにしてもいけないと警戒しながらも
連日放送される
『霊長類最強女子・4連覇の偉業へ!!』
と放送を見るにつけ
自然とその刷り込みが浸透してくる。
ワタシは逐一、レスリングを見ていたわけではないが、
TVで画面に飛び込んできた
吉田沙保里・まさかの銀メダル
という字幕を確認した時の率直の感想は
おお、銀メダルでもすごいじゃないか。
しかし、
その決勝後のTVインタビューで発した
『銀メダルでごめんなさい』や、
母親に駆け寄り、抱きしめられながら言った
『お父さんに怒られる』を聞いたとき、
彼女がどれほどの決意で臨み、神経をすりつぶし、
不安を抱えながらその日を迎えたと思うと
銀メダルでよかったじゃないか、と軽率に思ってはいけないと反省した。
まわりの観衆は大体こう思うだろう。
そんなに謝らないで、あなたはよく頑張ったから。
銀メダルでも素晴らしいんだよ。
そう、その通りなのだが。
なのだが。
絶対に、必ず、どんな事があっても、片手が折れてでも、
片足が使えなくなっても、
金メダルをもぎ取る事しか彼女の納得は得られなかったのだ。
彼女の正解は金メダルのみだったのだ。
誤解を恐れずに言えば
銀メダルなんて何の価値もなかっただろう、彼女としては。
表彰台に上がる際の
苦虫をかみつぶしたような悔しさと悲しさが同居した
彼女の表情が
銀メダルの価値をありのままに伝えていた。
オリンピックに出る事、日の丸を背負う代表者として参加すること
自体が凄い事で、
3大会連続出場、しかも金メダルを3回も勝ち取ったという功績も
尋常じゃない事で、
それだけでも誇らしい事なのに。
いつしか、周りの期待を重圧に感じながらも、
それを糧として、(潜在意識に相当刷り込んだだろう)
エネルギーに変換して、
女性のプライベートを捨てて全てこの3分・2ラウンドの為に
積み重ねてきたのだ。
それが年齢からくる身体機能の衰えを感じながらも、
それを理由にしてはいけないと
不安を打ち消すかのように練習、練習、練習に明け暮れたのだろう。
どんな気持ちだったのだろうか。
正直、辞めたいと思ったのではないか。
今のままでは4連覇なんて無理だ、と自覚がありながらも、
その不安を無理やりねじ伏せたのだろう。
そのストレス・重圧たるや想像できるものではない、
彼女自身しかわからないことなのだ。
謝る彼女の映像が流れてくると
じわりとこみあげてくるものがある。
つらかっただろうなぁ。
逃げ出したかっただろうなぁ。
金メダルなんて期待するんじゃねぇよ!って思っただろうなぁ。
とにもかくにも
彼女が素晴らしく世界に誇れる女性アスリートであることには
変わりはないわけで。
感動をありがとうございました。