運動神経が良かったわけでも無く。
球技といわれる全般はまるでダメ。
センスのセも持ち合わせていない残念男。
唯一、一年以上、三年未満取り組んだ
スポーツ・ソフトテニスも
初戦敗退、敗退、惨敗。
練習に取り組むも目が出ることはなく。
同級生に練習試合でも勝てず、悔しい思いはあるんだけど
その選手たちより練習を積み重ねる事はしない。
という事はそこまで悔しくないわけだ。
俺はセンスがないから努力しても意味がないと決定づける。
勉学はどうだ。
小学時代は悪い方ではなかった。
本を読む事が好きだったから?
勉学の成績に直結するのかわからないが
国語・算数・社会などの黒板と教科書に向き合う
勉強は性に合っていたように思い出される。
中学の頃は体育こそ嫌いだったけどw
勉強は楽しいと思えた時代でもあった。
やればやるほど成績・テストの点数が上がっていくことに
積み重ねる事の効果みたいなものは
うっすら感じ取っていたのかもしれない。
確か、中学2年の頃、
140名ほどいる同級生の中で一度だけ8番の席次を
もぎ取ったときは相当嬉しかったものだ。
(後にも先にもこの1回のみw)
しかし、ワタシの勉学のピークは
この中学2年の時の中間テストのみ。
その後、勉学で優秀な大学に通ったわけでも無く
勉学を掘り下げてのめり込むわけでも無く、
より知識・見識を学ぼうとアンテナを張る事もなく。
周りの沖縄の先輩が本土へ旅立つ流れを受けて
就職は本土がイイだろうという安易な決断。
その後の人生、何一つ継続し続ける物事はなかった。
これだけは毎日欠かさず継続している事って何一つなかった。
ダサくてもイイ。
これだけは常にやり続けているという
自分自身に誇れる事を、
なーんにもしてこなかった。
二足歩行と食事と睡眠は誰もが積み重ねているので
これは継続毎から外しておこう。
神奈川に居た頃、ストリートライブから台頭してきた
ゆず
に憧れ、ギターを抱えて街中で歌声奏でりゃ
間違いなくモテるだろう、と
通販で3万以下のギターを購入するも
FコードとかGとか外来語に嫌悪感を抱き
左手指の痙攣が嫌で1週間もしないうちに
ギターが1ルームアパートのクローゼット内でモニュメントと化す。
必死になってコードを覚えようとしなかった。
その必要性もなかった。
モテたいというきっかけはその後の継続性を
担保するほどのものでもなかったという証拠だ。
モテたいけどモテるための努力はしたくない、のような。
継続は力なり
誰もが知っている格言だ。
シンプルすぎるが故の破壊力のある言葉なのだ。
誰もが知っているけど
誰もが成し得ない事実なのだ。
ワタシのブログは去年の11月10日を契機に
毎日更新を継続中だ。
だからなんだ。
ただ続けりゃいいのか?
薄い内容をダラダラ書き連ねて
継続は力なりか?
そんなレベルの低い継続毎ではだめだ。
そもそも、ブログ発信の根本は
マネタイズであったから。
はっきり言って
今現在、継続し続けているにもかかわらず
一円たりともマネタイズに繋がっていない。
これからも、もがきながら
継続することはやめないだろう。
試行錯誤を繰り返しながら
ゴミ記事を発信することになっても
絞り出すようにカスカスの脳みそにストレスをかけて。
何をやっても他者に誇れるものがない
コンプレックスの塊のワタシだから
ブログ発信から何かを得たいのだ。
その何かは11月10日を過ぎれば
見えてくるのだろうか。
まぁ、そんな甘いものじゃないですよね。
でもね、
自己を表現する手段のブログを書き続けられているのは
やっぱり
どこか、好きなんだろうな、
表現することが。