Facebook友人からのシェアでタイムラインにこのような悲痛な叫びが流れてきました。
コメント数もさることながら、シェア数がスゴイ…ジャパンタクシーに関連する国民の意識の高さを伺わせますね。
この投稿文を読んで率直に、この運転手の対応はダメだと思いました。
ユニバーサルタクシー(健常者障がい者問わず 誰もが扱いやすい)と定義し、製造メーカー・タクシー業界・主に東京エリアが総力を挙げて空気を盛り上げたにも関わらず、車椅子ユーザーにとって扱いづらさが露呈してしまい、批判の嵐を少しでも抑制しようと乗務員にユニバーサルドライバー研修を勧め、火消し活動をコツコツ行っていた最中の出来事。
今回の件において、私の視点は、運転手の対応の不味さをあげつらうというよりも(会社において厳しく指導すべきですが)、むしろ、このような不誠実な対応にならざるを得ない運転手は一定の頻度で今後も出てくるのではないかな、と推測するのです。
改めて申し上げますが、今回の運転手の接客はプロとして失格ですし、ジャパンタクシーの車両構造の不具合さを再痛感させられた次第です。
今回の件を絡めてフッと頭をよぎったのは、ユニバーサル社会形成において、設備投資に潤沢に予算を投じれないようではこのような辛い思いをする障がい者は後を絶たないのではないかという事。(というか乗車拒否の事例は以前からあった)
誰もが扱いやすいタクシーは、運転手からも扱いやすくてはならない
ジャパンタクシーへ車椅子ユーザーが乗降を行うには、
- 2分割されたスロープを車内からそれぞれ取り出し
- 助手席側スライドドア側・道路に設置
- 手動式固定ベルト・シートベルトで車椅子ユーザーを固定して
- スロープを車内に格納
という一連の流れをアナログ的に2回行わなければなりませんでした。
これが1回・15分もかかるという事で、車いすユーザーから総スカンを食らいまして、火に重油を注いだ諸事情を何とか改善しようとタクシー業界が喧々諤々の意見交換を行い、1回・5分にまで短縮された、、という涙ぐましい努力も動画にてご覧頂きたいです。
個人的にこの動作が乗降介助作業範囲だと判断しましたので、実質、4分15秒 の作業時間ですね。
しかし、手動式格納スロープ+車椅子固定用・電動ベルト/ワイヤーを標準装備とする福祉車両タクシーと比べると、ジャパンタクシーでの乗降介助所要時間は圧倒的に遅いと言わざるを得ません。
因みに、弊社タクシーで私が乗降介助を行った場合、スタンダード車いす・電動車いすであれば1分以内・ストレッチャーでも2分以内には完了します。

電動式格納スロープではなく、「手動式格納スロープ」がスピーディー乗降の肝である。

車椅子固定ベルト(赤矢印)、ユーザー固定シートベルト(黄色矢印)それぞれが、「邪魔にならず・取り出しやすく・固定しやすい」設備になっている事が機動性重視のタクシーにおいて肝である。
スロープ式福祉車両においても、リフト式福祉車両においても、車椅子ユーザーの安全とスピーディーな乗降を想定して設計されているので、運転手から見てとても扱いやすい。
運転手が扱いやすければ、自然と乗客の乗り心地や快適性に繋がってきます。
ジャパンタクシーでの車いすユーザー乗降介助が15分から5分に短縮された事は評価に値する素晴らしい結果だと思いますが、何度も言いますように、そもそもの車両構造・付帯機材が、現場で働く運転手の負担をゼロに近づける前提で設計されていないので、タクシー側(経営視点)・乗客側(利便性・機動性)共に旨味はありません。
運転手目線をもないがしろにした結果の代償は相当に大きいですね。
どういう経緯でジャパンタクシーがあのような車両構造になったのか疑問が拭えませんが、改めて思うのは、国を上げてユニバーサル社会形成に向かって進んでいるはずなのに、ハンデを負っている当事者の意見を吸い上げる事なく関連事業者の自己満足だけで突き進んでいる事例が多いんじゃないかという実感。
人がバリア(障害)を作る
今回の事例とこの言葉がこれほどリンクする実感もありませんが、逆を言えば、人がバリア(障害)を取り除く事も出来るわけで、そのような人間形成と物理的バリアのフラット化を勧めなければならないんじゃないかと再確認した次第です。
スキルと気遣いを要しないユニバーサル環境
声をかけるべき?そっとしておくべき?乙武さんに障がい者への接し方を相談してきた
タイトル通り、健常者が障がい者への接し方で抱く疑問の数々をインタビューする記事なのですが、後半部分で乙武さんが言及している一節が今回のジャパンタクシーやユニバーサル社会形成へ警鐘を鳴らしているような気がしてなりません。
それはなぜかというと、そもそも物理的なバリアフリーが整っているので、障害者から健常者に何かを“頼む”機会が少ないっていうのが大きいと思うんですよね。
お互いが、上にも下にも置かれてない。本当の意味のフラットってこういうことなんだなと。
介助側が汗を流して障がい者・高齢者をケアする、、という構図は一見すると献身的・奉仕的精神に溢れて美しくも見えるのですが、これが数十回・数百回と行われなければならない状況だとしたら?
例えば、貴方が、駅の階段前で立ちすくむ車椅子ユーザーを見かけた時。
エレベーターもスロープもなく階段を登らなければ目的地にたどり着けない事が判明した場合、どうしますか?
まぁ、普通は手伝いますよね。勿論、一人では担ぎ上げれないので周囲の協力を仰いで何とか任務を遂行するでしょう。
しかし、この状況が毎日だったら?
正直うんざりするはずです。
逆の視点で車椅子ユーザーから見てもその都度その都度助けを求めなければならない現実に、いたたまれない心情に陥るでしょうし相当に心苦しい事でしょう。
これを解消するには、階段横にエレベーター設置と併せて折り返し構造の傾斜の緩やかなスロープ施工なはずです。それを実現するには相当な設備投資を要するのは経済に疎い私でもわかります。
これは私の推察なのですが、ジャパンタクシー開発において、投資するべきポイントを誤って(無視して?)コスト削減に突き進んだ結果、あのような陳腐なスロープと手動式車椅子固定ベルト装備と車内設計になってしまったのでしょう。
ハンデを抱えた方が快適に便利に安全に日常生活を送るには、コスト増は避けられないのです、そこを無視してはいけません。
公共交通機関の一つに位置付けられているタクシーは、その「公共」の名が示す通り、誰もが使いやすいものでなければならないはずです。それはタクシーを操る運転手も対象に含まれていなければならないと私は考えます。
今回の電動車いすユーザー拒否事件は、運転手教育が行き届いていなかった組織管理の甘さ・運転手自身の人としての優しさの欠如が絡み合って起きた悲しい出来事ですが、見方を変えれば、車両さえ扱いやすいものだったらこのような悲劇は起きなかったんじゃないかと考えるのですが。
私の考えは甘いでしょうか。