沖縄陸軍病院が語る戦のあしあと
圧倒的軍事力でOKINAWAにのりこんできた米軍の猛攻撃は、多数の死傷者をだしました。
鉄の暴風といわれた戦艦からの艦砲射撃
サトウキビをふみつぶした戦車の進撃
火炎放射器と銃剣をぶんまわした狂気
それらの猛攻撃をうけた日本軍・沖縄県民の負傷者を手厚く看護した陸軍病院のあしあとが、「南風原町・喜屋武(はえばるちょう きゃん)」の黄金森にいまなお残されています。
沖縄観光に訪れるお客様をむかえるべく那覇空港自動車道を通るたびに見える〝あの丘〟がいつも気になっていました。
「ひめゆり学徒も動員されたあの壕の中ってどんなカタチなんだろう?」
「あの壕のなかの空気から何が感じとれるんだろうか?」
「車いすユーザーでも通れるような配慮がなされているんだろうか?」
戦争が起こした惨劇を伝える平和ガイドを実際に受けるとともに、車いすユーザーも追体験可能かどうかのぞいていきました
沖縄陸軍病院・南風原壕群20号ってバリアフリー?
基本的に予約制システムでガイドさんの説明を受けながら壕の中を進んでいく流れになっており、反戦を訴える平和学習の場として主に活用されています。
意を決して訪れた現場では本土からの大学生が十数名いて、事前予約なしだったにもかかわらず私も同行させてもらえる配慮をいただきました。
運が良かったです。
時に数十名規模の平和学習を受け入れているタイミングでは、事前予約なしでは追体験をお断りせざるを得ないこともあるそうですから。
今度からは予約して向かいますね。
来る大戦に備えて、人力とツルハシで約70メートル・高さ1.8メートル・幅1.8メートルを掘った人工の壕
それが沖縄陸軍病院・南風原壕群20号。
約70メートルの壕内の崩れを防止する鉄骨と発泡ウレタン吹付により、安心して見学できます。
灰色部分が火炎放射器で焼き尽くされた沖縄戦当時の壕内の焼け跡を物語っています。
164センチの小柄な私でもかがまなければならないポイントがいくつかあり、湿度85%の壕内の水はけを狙った下り傾斜も2,3か所みられました。
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PDF画像は壕の中を真上からとらえたものですが、十字路を過ぎたさきから下り傾斜が出てきますので、車椅子ユーザーは注意が必要です。
付き添いヘルパーなどの力を借りて後ろ向きでアプローチした方がいいでしょう。
足元のすべりやすさと天井部の低さに気を付ければ車いすユーザーでも追体験はいけると感じました。
一番低いところで1350mmぐらいだったと思うので特殊型電動車いすユーザーでもギリギリでしょうか。
最悪、20号 壕内中心部・手術場でUターンするという手もあります。
そこまではどんな車いすユーザーでも追体験可能の広さです。
英霊たちの・ひめゆり学徒隊の・沖縄県民の、祖国にかけた想いとは
医薬品が足りないといらだつ看護婦
それでもせまい壕内に押し寄せてくる負傷兵
兵士の足を切断、食事の世話、水くみ、はげましの声かけ
死体の片付け・埋葬
軍医・看護婦・衛生兵350人では手がまわらない負傷兵の手当てに急遽駆り出されたひめゆり学徒隊222人も、この壕内で日本と沖縄をささえたのですね。
コンビニエンスストアのような過剰な明かりの下で看護ケアしていたわけでなく、
手元だけしか見えないなかでメスを入れ、止血し、包帯を巻いた。
〝あの戦争とは何だったのか〟を深く考えさせられる沖縄陸軍病院・南風原壕群20号は車椅子ユーザーでも追体験可能な戦跡でした。
※20号出口から受け付け入り口に向かう途中、左側に車いすトイレも完備されていました。