先日、退院利用のご依頼を頂きました。
実は、その2週間前にも入院されていて退院利用を終えたばかりの方。
つまり、初回の退院利用から1か月の時を経ずして再入院となったよう。
以前は米寿(かぞえ88歳)のお祝いで自宅~リゾートホテル間の
往復送迎を賜ったこともあり。
時に通院、時に入院とお客様・ご家族と介護タクシー車内で共に談笑した
懐かしき思い出がよみがえってきます。
毎月のしかかる多額のサービス利用費
いくら自分の育ての親とはいえ、育ててもらった親への孝行とはいえ
現実的には入院費・交通費・そして毎月の施設サービス費用が覆いかぶさってきます。
のしかかる、という表現は適切でないのでしょうが現実そう思わざるを得ない
諸事情もありましょう。
ましてや、連続、、のような形で再度、退院依頼を承る事も
こちらの胸がつかえる思いでもあります。
実際、ご家族の電話越しのトーンがどこか落ちている感じでしたし。
お客様との触れ合いが積み重なるほど現実とのギャップが
ご家族をルームミラー越しから眺めていると、その、会話の口調・やり取りの様が
とてもわらけてきて何だかこちらが嬉しくなってくるのです。
あ、半年以上前の運行なんですけどね。
親が子に、子が親に、基本敬語でコミュニケーションを取り合うカタチは
決して嫌味さを感じず、実に自然で、お互いの距離感を適切に保っている
ような好印象を感じさせるのです。ワタシにとってその親子のカタチは
とても新鮮なもので逆に羨ましさすら漂わせていたのでしたが。
そういった日常を見ていただけに今回のお客様の身体が一段と弱っている様、
そして、その心地よいリズムの敬語対話がタクシー車内で交わされていない事に
寂しさが見え隠れします。そういった個人的感情と合わさった上で
運賃・介助料金・福祉機材使用料金を頂く事に一瞬のためらいを覚えるのです。
正直、以前のワタシなら¥10,000頂くべき料金を¥8,000にしたりしていました。
1人の身体、一台のタクシー車両で稼ぎを生み出す介護タクシーのビジネスモデルでは
安易に2割も割り引くのは継続的な経営に繋がりません。
何より、安い事がお客様への喜びとなる・嬉しいだろうというどこか傲慢な目線が
あったのですから。生活保護世帯の運行となれば尚更、正規の料金を頂く事に
ためらいがより際立ったものです。
誤解の内容に付け加えますが、今回事例のお客様は生活保護世帯ではありませんで。
介護・看護の世界に携わる皆様はワタシら介護タクシードライバーよりも顕著に
人が老いていく様を日常的に見つめています。
人は生まれた瞬間、死に向かって歩く至極当然の摂理と
頂くべき料金は頂かねば経営は成り立たない現実と、
低所得者層が際立つ現在、そして、少子高齢化の波が確実に押し寄せる
未来に対して、なるようになるさと開き直る自分と
不安不安と嘆いた所で明日の光は余計に見えにくいぞ、と
何だか訳の分からない思考回路にショートしてしまったのですが(苦笑)