長いですねー、今回のブログタイトル。
先日、カジマヤ―(数え年97才)のお祝いの送迎を賜りました。その大先輩は女性の方でした。ご自宅の電動ベッドから車いすへ移乗すべく室内へお邪魔させていただいたのですが、お部屋に入ってすぐ右側に位置するベッドに薄手のタオルケットをかぶったお客様がいぶかしげにワタシを見つめておりました。
「こんにちは~!○○さん、本日はよろしくお願いします!」とワタシの際立ったほうれい線とゴルゴラインのシワを上部に吊り上げると穏やかに微笑み返してくれました。
90余年の人生を歩まれているにも関わらず非常に穏やかながらも電動ベッド手すりを掴まえて直立を保持する事が出来るのです。ワタシとご家族はさっと車いすを直前まで引き寄せ、すんなりと移乗介助を終えたのです。自宅は恐らく昭和40~50年代に作られたものでしょう、コンクリ建築の室内間仕切りも非常にコンパクトな設計となっており、お客様使用の車いすも身体の寸法ぴっちりに合わせた多機能車いす。
その車いすでなければタンス、テーブル、ソファが鎮座する室内を移動する事は不可能で、ましてや、玄関先の段差を解消すべく置かれたコンクリブロックと外壁の狭い入口を通過する事も不可能なのです。
ここからあえてお客様を゛おばぁ゛と言わせていただきましょう。沖縄の人間は愛称という意味合いでも堅苦しい上下関係を取っ払う意味でも親しみを込めて祖母の事を゛おばぁ゛と呼ぶのです。あくまでも関係性が出来てからの愛称なのですがブログ上でそう呼ばせていただく事をお許しいただきとうございます。
お祝いが行われる式場への道中、言葉を発するわけでなくただただワタシに身を任せるように前方の・側方の景色をながめるおばぁがそこに居ました。
「いい天気ですね、今日はごちそう食べて楽しんでくださいね~」と言葉を投げ掛けると「……」無言で微笑むおばぁがそこに居ました。ワタシの活舌と声量にも問題はありましょう。
会話が成り立ちませんでしたがそんな事はどうでもいいのです。言葉を交わさずともお互いがお互いを慮る気持ちさえあればふわりと通い合う瞬間があるものです。そんな気がしたのはワタシだけかもしれません、都合のいい忖度をしてしまいました。
あっという間に式場に到着。5時間後のお迎えを約束し、しばしのお別れ。
予定より5分早くお祝いが終わった会場からお迎えのコールがかかり県道を左折すると、ご家族数名と談笑するおばぁがカジマヤ―祝い用の煌びやかな衣装を羽織って微笑んでいる光景がフロントガラス越しに見えました。こういった瞬間に出くわすごとに幸せのおすそ分けを貰っているようで、また、そのご家族のお祝いの舞台の影の支えとなれている介護タクシー運行にとても心が満たされるのです。
車いすスロープの設置を準備しながらもご家族が笑い合い、おばぁにおめでとう!と語り掛ける親戚らからも「ご苦労様です、ありがとうね」と労いの言葉を頂くことにこのお仕事の醍醐味・充足感を味わうのです。介護タクシーにしか成し得ない大切なお祝いの送迎ミッションなのです。
今更ながらの補足説明になりますが、カジマヤ―とは沖縄の言葉で「風車」を指し、90余年ともなると人は童心に帰り子供のような仕草やふるまいをするものなのです。風車で野原を駆け回ったであろうおばぁは自宅へ向かう介護タクシー車内でも昔の原野風景を懐かしむかのようにただ、微笑んでいたのです。その微笑みをルームミラー越しに眺めるとこの空間に言葉はいらないなと思わせる不思議な静けさが漂っていました。
激動の戦争時代を潜り抜け、ワタシが知る由もない人生の浮き沈みや喜び笑い悲しみを体細胞にしみこませたおばぁとの送迎での十数分というのは何か不思議な言葉にならない感情を覚えます。車などなかった幼少時代・電気など普及していなかった家屋での生活・人生の意味とは?など考える暇もないほど゛生きる゛事に身を投じてきたおばぁとご縁があってこうして車内を共に出来る瞬間は貴重なものなのでしょう。
おばぁの目に映る現代社会とはどのようなものなのか、なんて余計な想像を働かせてしまうのですが穏やかな微笑みと可愛らしくもか細い声でワタシに「ありがとう」と言葉を投げ掛けてくれたことに何だかどうでもよくなるのでした。
どうでもよくなりながら一人車内でニタッとほほ笑むワタシがそこにいたのでした。