2019年10月31日 AM6:10 いつものルーティーンでテレビをつけると「首里城正殿が全焼」というテロップが画面右上にあって、その現実を突きつけるかのように、あの煌びやかで誇らしい正殿が確かに燃え盛っていた。
その瞬間「はぁ?」というため息が漏れ、花城健という個人の人格・それを育んでくれた沖縄の大地・世界に誇れる琉球王国の存在が否定され、もぎ取られ、えぐり取られるかのような心情に陥り、激しい脱力感に襲われた。
このブログを書いている1週間前には、初沖縄で新婚旅行のお客様をご案内したばかりなのだ。
ご案内したばかりだったのだ。
なぜ心をえぐり取られるかのような感覚に陥ったのか。
それは、私という人生の一部に、確かに首里城が組み込まれていたからにほかならない。
2019年 首里城

飯岡さまご夫婦 首里城・南殿入り口付近にて 2019年10月23日15:22

片山ご夫婦と首里城正殿 10月17日11:43

片山さまと首里城・御庭から北殿 10月17日11:47

北殿 10月17日12:24

首里城正殿と御庭(うな~) 10月17日12:26

渡辺さまと首里城正殿にて 8月15日15:10

奥書院から黄金御殿につながる車いすリフトと渡辺さま 8月15日15:22

(株)エフケイ犬伏さまと首里城正殿内2階・御差床(うさすか)にて 2月8日16:09

(株)エフケイ社員一同と首里城正殿・御庭(うな~)にて 2月8日15:44
2018年 首里城

石黒さまと藤田さま 首里城正殿前・御庭にて 3月15日15:33

首里城正殿内・御差床(うさすか)にて栂さまご夫婦と 6月24日15:40

首里城正殿外・漆塗り直し工事足場 6月24日15:48

丸山様・阿部様と首里城正殿前・御庭(うな~)にて 7月23日15:02

丸山様と首里城正殿内・御差床 うちゅ~い前にて 7月23日11:17

奉神門にて 8月9日16:56

漆塗り直し前後 8月9日17:32

無料ガイドを聞き入っている正殿内・御差床まえにて 9月12日15:14

首里城正殿と南殿 9月12日15:56

稲垣さまと漆塗り直し中の首里城正殿前にて 9月13日12:36

2018年度 琉球国王・王妃選出大会 首里城正殿前にて9月23日19:23

中山さまと首里城正殿内・御差床にて 11月3日16:25

観光バリアフリーセミナー・タイヤランド高里代表と近所詰所から奥書院へとつながる階段昇降機にて 11月22日15:02

観光バリアフリーセミナー・沖縄脊髄損傷協会 理事長 仲根理事長が首里城正殿内リフトから北殿へと 11月22日15:14

観光バリアフリーセミナー参加事業者と首里城正殿前・御庭(うな~)にて 11月22日15:27

南殿側から首里城正殿 12月14日14:48

南殿 12月14日14:48

首里城正殿内 御差床のうちゅ~い 12月14日15:34

首里城正殿外・漆塗り直し直後の外壁 12月14日15:43

首里城正殿 12月14日15:48
2017年 首里城

柵封儀式再現イベント 奉神門前にて 11月4日11:04

柵封儀式再現イベント 奉神門前から広福門・系図座用物座へ 11月4日11:55

柵封儀式再現イベント 朱里城正殿前 御庭(うな~)に整列する役人たち 11月4日12:11

柵封儀式再現イベント 首里城御庭にて琉球国王任命後の退陣 11月4日13:05
お客様と共に琉球王国へタイムスリップして
琉球王国とは何ぞや?を学びたくて
中国と日本にはさまれながらも独自の文化を形成しつづける琉球(沖縄)の生きざまを知りたくて
青空と朱色とさんご石のコントラストがいつも美しくて
バリアフリーに富む設備とホスピタリティがいつも誇らしくて
琉球王国ならではの文化を工夫して発信し続ける運営/現場スタッフの頼もしさを感じたくて
何度も何度も首里城には訪れていたんですね。
お客様と触れ合い、歴史を学び、バリアフリーを感じながら私という人格は醸成されていきました。
大切な家族を失ったわけでもなく友人を亡くしたわけでもないのに、
死傷者が出たわけでもないのに、
ただただ悲しい。
こうやってブログを書きながら自分の思考を掘り下げてみると、首里城って、ただの観光地じゃなくて沖縄県民の存在意義だったんじゃないかとさえ思えてきたんですね。
私はそうです、でなきゃこんなに苦しくならない。
この日、沖縄県内のあらゆるメディアは首里城焼失について報じました。
何より、全国のメディアが予定していた番組構成を変えてまで積極的に報じました。
龍潭池のほとりで涙を流す女性がいました。
世界各国からも嘆きの声がSNSを通じて確認できました。
介護タクシーめぐりをご利用くださったお客様がお気遣いのコメントをくださいました。
共感してくれて共有してくれて、沖縄県民としてなんかうれしかった。
私の曽祖父は首里のサムレー(士族)だったそうです。
亡き親父がいつもうるさく言ってました。
いわゆる親父の小言ってやつです。耳にタコ焼きができるほど聞かされました。
先祖がすげぇんだぞ、とドヤるつもりは一切なく、むしろ、その生きざまと自分の人生を照らし合わせると恥じ入るばかりなんですね。
でもやっぱりどこか誇らしい、そんな先祖の血を引き継いでいるという事実。
花城という苗字には首里の街並みで育まれた歴史・文化が息づいているのかもしれない。
そんな経緯もあり、今朝の首里城焼失というショッキングなニュースに心がえぐられたんだと思います。
首里城復興はどうなる?
首里城に限りませんが、歴史的建造物は史実をもとに忠実に再現されています。
法隆寺しかり金閣寺しかり熊本城しかり。
例えば、この建造物の大黒柱は〇〇県の〇〇山からとれたものだから再現するなら同じ場所から…こういう考えが基本です。
夕方のニュースを見ていたら、4度目の首里城正殿復元工事では国内産ヒノキがどうしても手に入らなくて、「これが最後だから」という条件付きで台湾政府許可のもと、
台湾ヒノキを使って復元されたそうですね。
首里城火災、台湾の蔡英文総統がメッセージ「かつての華麗な姿を取り戻せることを心より願っています」
有識者でもないただの介護タクシードライバーの私としては、木材確保や首里城復元の技術をもった職人たちを確保することのほうが難易度高いかもと感じました。
首里城焼失が教えてくれたこと
形あるものは必ず壊れる
今となりにある大切なもの(人)は明日あるとは限らない
永遠なんてものはない
諸行無常ってやつですね。
沖縄県民の私は、同年度に起きた台風・地震災害やパリ・ノートルダム大聖堂の火災をテレビ/SNSで目の当たりにして「大変だとは思いながらもどこか他人事」でした。
在る時にはその大切さや価値を理解しきっていないもんなんですね。
無くして失くして亡くした後にしか、人間はその価値に気づけない。
こういった教示って先人が口酸っぱく言ってきたことなのに、話半分でしか聞いていない。
とはいえ、下を向いてばかりもいられません。
一秒でも早い首里城復元に向けて私ができることはどんな小さなことでもやっていこうと思いました。
沖縄県民のアイデンティティーだったんですよ、首里城は。
これを喪失したまんまで終わらせてはならない。
なんかまとまりのない、記事構成なんかどうでもいい、感情の赴くままに書き上げてしまいました。
どうしても発信したかったんですよ、本日中に。
また、この首里城へお客様をご案内できる日は必ずくると強く願って