沖縄県民が愛する伝統芸能・エイサーとカチャーシーを演じてみたいという情熱も、
三線が奏でる古典音楽/民謡/島唄/沖縄POPSに心揺さぶられたことも、
鉄の暴風で疲弊した沖縄戦の過去を学びなおしたいという動機も。
任侠先生ヤンクミを演じた沖縄出身の仲間由紀恵さんが、テレビモニター画面内で荒くれ不良生徒を心地よく成敗していくテレビドラマ「ごくせん」と出会ったことから沖縄LOVE熱を発症したそうで。
今回のバリアフリー沖縄観光3Daysは、仲間由紀恵さんという大スターを育んだ〝沖縄〟を、北から南へと駆け巡ったフォトグラフィーあふれるブログです。
駆け足で駆け巡ったので駆け足でご覧いただければ幸いです。
介護タクシーで沖縄観光Day1
那覇空港に降り立った後はさんぴん茶と沖縄そば食らわにゃ損損ということでこちらへとご案内。
こちらのお店では、沖縄そばのルーツといわれている「唐人そば」をパワープッシュしていまして、お客様にはそちらもおススメしました。
おばあちゃまは沖縄風焼きそばをチョイスされましたが、ソースの味付けががたいへん気に入ったらしく、
と唸っておりました。
こちらの「うちなぁ家・八重瀬店」は、入り口段差3センチと健常者専用トイレと駐車場の砂利に注意を払えば車いすユーザーも快適に沖縄料理を堪能できます。
お腹を満たした後は、絶景コバルトブルーの海が一望できるニライカナイ橋へひろみGOしてきました。
当たり前ですが、写真以上の感動と美しさが現場に漂っております。
5Kテレビなどというハイビジョンスクリーンでは受け取れないんですよ、本物の沖縄ってやつぁ。
2か月前からのメール打ち合わせの段階で、「偏光サングラスをぜひご用意してください、肉眼で見るよりも沖縄の美しい空と海が体感できますので」
とお伝えしていたので、車いすガールの娘様はさっそく装着なさっていました。
お似合いです。
いやぁ、美しいですね、沖縄って。
「沖縄戦の歴史に触れたい」
お客様はそうおっしゃいました。
私の祖父は沖縄戦で亡くなり、こちらの平和の礎にその名が刻み込まれています。
訪れたその日、沖縄の空は真っ青に晴れ渡っていました。
平和記念資料館内の写真が映し出す戦時の空はなんだか灰色に見えます。
カラーフィルムが無い時代だから?
そうかもしれません、けど、鉄の暴風が飛び交うような狂った日常では、青の空も灰色に染められてしまうのでしょうね。
聞けば、沖縄戦を生き抜いた人々の証言集を購入されたそうな。
祖父が戦争で亡くなっても証言集を買ってみようかと思ったことは一度もなかったです。
少しばかり恥じ入る思いでした(苦笑
さて、今回の旅のメインディッシュといってもいい、仲間由紀恵さんの故郷・浦添市に向けて介護タクシーを走らせましたよ。
ブエチキンじゃありません、ブエノチキンです。
もともと人気のあった店舗でしたが、テレビ放送をきっかけとして接客対応が難しくなり、予約注文しなければゲットは困難の極みです。
ガーリックの匂い際立つチキンを胸に、ヤンクミの出身校へと乗り込みました。
そのまま通りすがるだけでも良かったのですが、私の老婆心が邪魔をしまして、
現場の空気を五感で感じて頂きたかったので「アポなしですけどササっと写真撮っちゃいましょう」とガイドしちゃいました。
関係者のみなさま、この素敵な笑顔にめんじて許してください。
沖縄観光初日はこうして幕を閉じました。
ネクストデイはコバルトブルーの美しさと清らかな透明度で観光客を魅了し続ける古宇利島へのドライブです。
何としても晴れてもらわにゃ困りまっせ。
介護タクシーで沖縄観光2Days
見事に晴れました、ありがとうございます。
こちら許田・道の駅でトイレ休憩をはさみつつ、古宇利島へひとっ飛び。。。。の前に。
ワルミ大橋からのバンジージャンプ絶景も楽しんでもらいましょう。
ウップス!!
親子3世代で偏光サングラスを完全装備。ワルミ大橋でワルなガールズがワルミデビューしました(意味不明
個人的に大好きな写真です、おばあちゃまの笑顔が最高(笑)
ありがとうございます。
古宇利島の海はこうでなくちゃ困ります。
晴れてこその沖縄、、ですからね。雨や曇り空だと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
交通の迷惑にならない出来うる限りのスロー速度で、長さ2キロの古宇利島大橋からの絶景オーシャンビューを楽しんでいただいた後はランチタイムでございます。
店内は二等辺三角形風なレイアウトでして、狭い印象は否めません。
覗き込むと満席状態でしたが、こちらが車いすユーザーであることを確認するやチャイニーズ・メンズが
と6人掛けのテーブル席を譲ってくれました。謝謝ニーハオ。
むむむ。
中国人への印象を改めなければなりません。
旅先で触れる人情は、必ずや、その国の印象を底上げしてくれます。
イメージアップしたいから親切を売るのではなく、楽しんでもらうために想像力を働かせて今できる配慮を提供すればいいんですよね。これが難しいのですが(笑)
海ぶどう丼、うまいです。
お客様は沖縄そば・あぐー豚定食・タコライスを注文なさいました。
沖縄の美味を堪能したあとは
沖縄の自然遺産でも満腹になってもらいましょう。
いやー、言葉いらないです。
個人的には干潮よりも満潮気味のほうがコバルトブルーが際立つのでそれを感じて頂きたかったのですが、潮の満ち引きだけはどうにもなりませんで(笑)
世界遺産・今帰仁城址へたどり着くには、少々ばかりの砂利道と凸凹悪路をクリアしなければなりません。
こちらの情報もあわせてごらん頂ければと。
陽射しのキツい沖縄ですが、木陰に入ってしまえば心地よい海風が通り抜け、フクギ並木が醸し出すマイナスイオンシャワーを浴びてHPは即座に回復します。
フクギ並木ロードは安らぎを求める歩行者と愛を確かめ合うサイクリングピーポーと、
束の間のスローライフを求める水牛マシンが行き交います。
都会の喧騒を忘れるなら今一度沖縄へめんそ~れ。
さて、沖縄県人気観光地TOPを誇る美ら海水族館へ到着。
で~じ上等笑顔。
ああ、うれしいですねぇ。 こちらが嬉しくなってしまいます。
ちばりよーTシャツを着こなしたお客様、ヒトデ・ナマコを食べようと躊躇なくタッチング。
車いすユーザーでも触れることのできる浅場が奥に設けられていますので是非お試しあれ。
ギネス記録をほこる厚さ60センチのアクアリウム水槽前(右端側)には、車いすユーザー専用観覧エリアが設けられています。
このような識別ペイントを施したことで健常者に対するモラルの働きかけが高まり、車いすユーザーを見かけると場所を譲ってくれるようになりました。
何度も沖縄に来たことのあるお客様家族は、以前は、ぎちぎちスケジュールで動かなければならないバスツアーを利用されたとの事。
その場所を堪能するのではなく
〝その場所に行ったことだけを重視するツアープラン〟では、時間に追われて動かなければならないため、このようなエキサイティング観覧エリアも知らなかったそう。
タクシーならではのオーダーメイド貸切観光ドライブならそれが可能なんですね。
お客様だけの沖縄を提供するために何か月前からリサーチ・プランニングするのですから。
早いもので沖縄観光も残り1日。
楽しい時間はあっという間です、ホント。
介護タクシーで沖縄観光Last Day
お話を伺うと初日夜に国際通りを散策されたそうで、その時に惹かれた沖縄グッズをぜひゲットしたいとの要望を受けました。
お客様の断片的な情報を頼りに、私、そのお店を探しました。
キーワードは「坂をくだったところにある」
ありました。
すぐに見つかりました。
ミンサー模様があしらわれたバッグが記憶に残っていたんだそうな。
次なるキーワードは「赤い人形のシーサー」
ありました。
お店出入口にディスプレイされた商品模様が記憶に残っていたらしく、すぐにみつかりました。
沖縄県民が思う沖縄らしさと
本土の方が思う沖縄らしさってギャップがあります。
しかも、お客様ごとに求める「沖縄らしさ」というのは、異なるのです。
非常に興味深いですねぇ。
女性にとってお買い物タイムは生きる活力です。
その為のお時間も確保しております。
沖縄観光最終日はこれまで以上にない快晴。
秋にさしかかる9月中旬とはいえ、ジリジリ照り付ける沖縄の陽射しは時に殺人的です。
快適クーラーが約束された壺屋やちむん(焼物)博物館の鑑賞にて沖縄の芸術歴史にふれて頂きました。
反戦平和教育にご都合よろしくないとささやかれている?旧・海軍司令部壕は、一応、バリアフリー施設なのですが車いすユーザーが出入りするスロープ坂の傾斜がキツくて安全上の観点から壕内鑑賞はメール打ち合わせ時点で見送っていました。
お客様は壕内に入れなくても資料館の展示物をぜひ見たいと、そして、当時の海軍壕を生き延びた人たちの証言集が欲しいと熱望されていました。
残念ながらお望みの書籍は無かったのですが、戦争が起こす狂気と凄惨な空気を資料館内展示物から受け取ったようでした。
さてさて。
おばあちゃまが介護タクシー車内で
と申されていましたので、速攻ググって首里城正殿裏・世誇殿で毎日行われる伝統芸能 開始時間をチェックして、間に合わせるように取り計らいました。
あ、もちろん、こちらでもフォトピクチャーしましたよ。
首里城は世界遺産グスクの中でも屈指のバリアフリー充実度を誇っております。
沖縄の澄み切った青空がいまいち写っていないので、ワガママ言うて再び撮らせてもらいました。
うん、これかな。
首里城から南下することおよそ1時間。
ひめゆりの塔に到着しました。
こちらもお客様が訪問を熱望されていた激戦地。
資料館内に展示されていた写真には、16~18才のうら若き乙女たちが射撃訓練を行わざるを得ない当時の激情がはっきりと映し出されていました。
3日間ご一緒したおばあちゃまも戦時中は小学生だったといいますから、そのような方とご縁あって沖縄本島を北から南へと駆け巡ったこの体験は私にとって感慨深いものでした。
動員されたひめゆり学徒隊222名も半数以上が亡くなり、令和元年において生存者の語り部も今や6名以下。
元・ひめゆり学徒 島袋淑子さん「〝戦争は絶対ダメ〟と言えるように」
生き延びた人たちが何を思い、戦後生まれの人々へ何を伝えたかったのか。
その一端がつかめる証言集を、お客さまは購入されました。
仲間由紀恵LOVEの車いすガールは、私が乗降介助&車いすガイドを行うたびに「は~い、ありがとうございます」と可愛らしい声で答えてくれました。
これでお別れではありません。
また、いつでも、沖縄に帰ってきてくださいね。
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